“ 報・連・相 ” の落とし穴

また大層な標題ですが・・・、そんな大層な話ではありません。

  “ 報・連・相 ” は日本人なら誰でも知っている言葉かと思います。ご存知の通り “報告”、“連絡”、“相談” です。野菜の“ほうれん草”にかけていますね。ベトナムでお仕事をされている方、今の日本でよりも、今のベトナムでよく聞く言葉ではないでしょうか?ベトナムで社内教育など人材育成に接すると、最初に出てくる言葉かも知れません。ベトナムの人に “ほうれん草” とかけても言語が違うのでわかり難いかと思いますが、それは仕方がない事として、仕事のうえで基本の基本です。しかし、なかなか分かってもらえない、というか仕事の上で実践してくれません・・・。でも、何にもわかっていないわけではなく、「自分は “報・連・相”が出来ている」 と思っている人が多いというところが ”落とし穴” かと思います。

  ある人に、「あなたは “報告” は出来ていますか?」と聞いてみました。「はい、出来ています。」との答え。「それはどんな時ですか?」と聞くと、「求められたら “報告” しています。」との答え。 ん~???。 続けて、「”連絡” はどうですか?」、「はい、出来ています。」、「それはどんな時ですか?」、「聞かれたらちゃんと “連絡” しています。」 ん~???。「今の答え、前者と後者の違いは?」 ・・・・・ もういいや・・・。これは比較的高学歴の社員との会話でした。「ちゃんとわかっている大人に対して、日本人は子供に教えるような事ばかり言うんだから・・・。」って思っているのかも知れません。“尋ねられたことに対する回答” でしかないですね。そんなことを “仕事の基本” として “報・連・相” なんて言葉を作ってまで研修したりするわけないでしょ!!。

  でも、ベトナムの人達、気が付いていないかも知れませんが、実は “報・連・相” をとても上手に実践しています。例えば、噂話。何か “耳寄りな話” があると、ものすごいスピードで周知されていますね。センシティブな話だと、伝わるべき相手と、べきでない相手、上手にすみ分けて伝わっていますね。それもやはりもの凄いスピードで・・・。何か叱られるようなことをしようとする時、社長が、日本人監督者が、どこで、何をして、何を考えているか、ちゃんと報告が回っています。複数人が絡む事だとすると、何となく組織立って動いていたりします。事の実行方針が伝達され、ところどころで相談され、実施手順などの細目が実行部隊で具現化されていきます。目を見張る動きをしていたりします・・・・・・・。お願いだから、それを仕事でやってよ~・・・。

  仕事では、このような動きをするもんじゃないと思っている?・・・というより本能的にそのようになっているように感じます。「だって、仕事でそれを発揮しても面白いことや得は無いし・・・」 ってね。仕事に対する考え方が違うんでしょうね。近年は、ベトナムの人が自分でビジネスを起こして努力して成功をしている例が増えてきましたが、その人たちには “報・連・相” なんて、勿論研修する必要はないと思います。以前にも、経済的に開放されてくるに応じて自分のビジネスで成功する人も出てきていました。でも何か有利な条件や利権などを最初から持っていた人ばかりでした。さらに以前は、仕事は与えられるもので、努力してもしなくても得られるものは同じという時代でした。だから、“求められたら報告することが ”報告“、聞かれたら連絡することが ”連絡“ なのですね。

  こんな事を聞くと、我々気持ちが折れそうになってしまいます。そのままというわけにはいかないので、繰り返し “報・連・相” 言うしかなくなってしまいます。聞かされる方は、 「いい加減子ども扱いしないで!!」 と思いつつ、仕方がないから聞いています。最終的に、「ベトナム人は “報・連・相” が不得意」 という風評になります。“ボルト”が数本抜けて将来大崩壊の危険をはらんだ ”鉄橋” のような信頼関係のスタートかも知れません。いち早く、ボルトがどこで抜けているか見つけなければなりません。早く見つければ、一本一本時間をかけて修繕しても間に合いますが、荷重に耐えられなくなってきた頃では、大崩壊に秒読みとなってしまいます。

  確かにベトナムの人は “報・連・相” は得意とは言えません。仕事上で理解しておらず実践していないのですから。でも、前述のように事が事なら “報・連・相” の力を発揮してます。“報・連・相”が何故仕事の基本なのか、“報・連・相” の仕事上の目的は何か、ひいては、“報・連・相” が出来ていると何が良いのか、出来ていないと何が良くないのか。これらを理解することをしっかりと押さえないといけないと感じます。「そんなことからやらなければならないのか」 と、また日本人の指導者の方々は気持ちが折れそうになるかも知れません。社会の仕組みや常識、教育などのバックグランドが違うのですから、何が優れているとか、劣っているとかという前に、会社の事業の目的に応じたり仕事の目的に対する ”基本” というところまでは、目線を同じくする努力をしなければ、“抜けたボルト”は見つけられないと思います。

  ベトナムの人は、議論や検討の中で、“基本”とか”目的“が抜けていることがよくあります。そして、あらためて ”基本“ とか ”目的“ とかの話をすると極端につまらなそうな顔になります。(となるように感じます。)”つまんない“ 雰囲気を押して、”基本“、”目的“などを突き詰めていくと、驚くほど早く自分たちで結論を見いだしたりします。中にはこのプロセスを ”面白く“ 感じてくれる人もいたりします。そして、段々と ”基本“ を実践し、”目的“ を意識しながら物事を進めてくれるようになったりします。元々、コンピュータ(頭脳)の性能がよいベトナムの人ですから、こうなると戦力になる可能性が見えてきますね。ただし、素直に ”基本“ から考えていくことができないと、はじめの一歩で挫折してしまう場合も・・・。「基本なんて、何で大人に対してそんなことを言うんだ・・・」 と、ここから次に進まない人は、もう一工夫、二工夫が必要な場合がありますね。

  ここまで、前にも出たように、「こんなことから始めなければならないのか・・・」 と言われそうですが、我々ベトナムで働く日本人は、日本から ”管理者” の役割で派遣されてきたり、日本人として ”指導” の役割で採用されているのが殆どかと思います。高額な人件費で “日本人として” の任務を得ています。その任務を果たすための基本のところは、“目線” を同じくする努力なのだと思います。他の国での状況を比べてつい愚痴っている日本人も少なくありませんが、“目線” を同じところまで持ってきたら、その後のベトナムの人の伸長は違うと思います。

  もう一つ大切な事、我々日本人が仕事の上で、“報・連・相”、”基本”、”目的” などに対して適切な行動ができているでしょうか?”管理者” や ”指導者” 的立場の人の行動、人材育成にはこれが最も重要です。会社の従業員などのベトナムの人達、例えば “報・連・相” について、どんなによく理解していても、”管理者” や ”指導者” 的立場の人が実践する以上の事はしません。そこは ”管理者” や ”指導者” 的立場の人達の行動をよく見ています。

  そして、今、志を持ったベトナムの人が日本に来て、日本で仕事をする時、日本での仕事や日本人から受けた事、諸々、幻滅することが少なくないようですね。日本に行く時、各々の事情や思いは違うかと思いますが、皆日本には良い印象を持って日本を選んでいる筈です。最近は多くのベトナムの人が日本で “ひどい目にあって” 帰ってきます。いろんな議論の前にまず、日本人として大きな ”恥“ である事が多発している事実を真摯に受けとめて ”改善“ することから始めなければならないと思います。多くのベトナムの人が日本に期待を持って日本を選択しているのですからなおさらです。この辺の話はまた難しい話ですので、また別の機会に。

(写真は本題と全然関係ありません。イメージ写真として・・・。)

2018年12月7日